現代も仕事の目的はお金なのか

若者の○○離れ

高いものを買わなくなったとか恋愛しなくなったとか、昇進したいと思ないとかお金持ちになりたいと思わないとかそんなことである、その中でも私が特に注目したのはお金持ちになりたいと思わないという事である

 

お金持ちになりたいとは

お金持ちになりたいという事はつまり買いたいものとかお金を使って何かしたいことがあるという理由が大半なのではないか、お金はそこまでいらないという人はいても貧乏になりたいという人はいないと思う、そう考えると普通の生活でいいという人が多いのかもしれない

 

資本主義は欲が原動力

資本主義は欲が原動力になっている、わかりやすく言うとお金である、お金をもっと稼ぎたいからもっといいサービスを行う、もちろんそういう人ばかりではないと思う、しかしそれが原則だとすると欲が小さい社会では資本主義がうまく働かないという事ではないか

 

なぜ欲が小さくなったか

それは安い代替品で自分の効用を達成できるようになったからだと思う、昔の人は高いものを買うために仕事を頑張ったという人が結構いると思う、昔と今で違うものそれはある程度高性能で低価格の代替品が有るか無いかだと思う、例えば店頭に並ぶ商品も低価格で高機能の物がたくさんある(低価格高性能が悪いというわけではない)、つまり昔は代替品がなく唯一無二の物が現在では代替品がたくさんあり金をたくさん稼いで手に入れる必要性が薄くなったのではないか

 

星空をみているのと同じではないか

今はインターネットが普及している、なので自分の小ささを実感する機会が多くなっているのも原因の一つだと思う、例えば昔はネットワークが小さかったので、所属している会社で昇進したりすると嬉しいし、会社の中で給料が高いと嬉しいと思う事もあったかもしれない、しかしそれは自分が認知している数十人の中の上位という事で感じる喜びではないだろうか、ネットでたくさんの情報を毎日みると価値が小さく見えてしまうのかもしれない、星空をみていると自分の悩みが小さく見えるように、ネットを見ると自分の地位やお金も小さく見えるのかもしれない

 

 

これからは欲はお金ではないかも

これからの会社は給料ではなくやりがいを欲に置き換えて、やりがいを原動力にした会社が大きくなるのではないだろうか、給料などの数値や役職などの地位それは大きな世界と比べることができてしまう、しかし比べれないことが一つある、それは自分の世界である、自分が楽しい、自分が充実して毎日を生活している、そう思う事は星空を見て宇宙がどれだけ広くても自分が幸せならそんなの規模の大きい話関係ないと思えるのではないだろうか、だからこそ若者は休日の多さ、残業の少なさ、仕事のやりがいなどを重視する人が多いのではないだろうか

 

ではどうやってやりがいを原動力にするか

やりがいの要素は様々あると思う、私は大きく分けて労働内容、忙しさ、仕事の人数この3つがあると思う、まず第一に忙しさである、私個人的な意見になってしまうがある程度忙しい方がやりがいは出ると感じる、一番よくないのは暇だという事である、暇だと自分の必要性を感じなくなるし怠ける、忙しすぎると不満が溜まる、労働内容も様々あると思う、例えば配達員だと仕分け、営業、配達、事務作業など一人で様々な仕事をすると思うがきっと好きな仕事はすべてではなくどれかに偏ることが多いと思う、仕事の人数は例えば一つの皿を作るにしても工程を分担しているところと初めから完成まで一人で行うところでは初めから行う所の方がやりがいは大きいと思う

 

アンケートを毎年取ればいい

今の仕事の忙しさはどうか、好きな仕事は何か、もっと大人数の仕事か少人数の仕事かどちらがいいかなどアンケートを取り、そのアンケートの元に部署を移動や、やりがいのある作業専属の仕事を任せる事や、少人数が好きな人は少人数で仕事ができるように変えるなど手間がかかるが行うとよいと思う、そうすることで離職率の低下や意欲の向上など見込めるのではないだろうか

 

終わりに

お金は原動力にはあまりならないとしても、やりがいしかなければそれもよくないだろう、結局はバランスが大切なのだろう

フリースクール利用者に補助金を出す

初めに

私はフリースクールを利用したことがない、そして今回はすべてネットで調べた情報を元に思ったことを書いている

 

フリースクールについて

フリースクールはまだまだ普及が遅れているとネットを見て私は思った、その理由の一つは費用が高いという事である、月額平均約3万円ほどらしい、ある程度お金に余裕がある家庭でないと辛いだろう、そしてもう一つはフリースクールの数自体少ないという事だった、数が少ないという事は今住んでいる所の近くにフリースクールがない可能性も高くなるだろう

 

フリースクールの必要性について

フリースクール不登校になった人などが通う所であり5人ほどが利用する小規模の所が多いらしい、同じ経験をした人が集まりかつ少人数なので仲良く過ごせるという事なのだろう、私は必要性はあると考える何故ならフリースクールに通学するという事は規則的な生活になり精神的にも良さそうだし、フリースクールで仲良くなれればそれは成功体験としてその子供の記憶としていい影響を与えると思うから、色々書いたが単純に子供の内は楽しい事ばかりでもいいと思う、その可能性の一つであるフリースクールはあった方がいいと思うのである

 

問題はフリースクールを選択できない場合

その世帯にある程度収入があってフリースクールも選択できるようであれば問題はないと思う、しかし世帯収入が少なく選択すらできない場合それは本人の選択肢の一つを消しているともいえるのではないか

 

世帯収入の少ない世帯に補助金を出す

世帯収入の少ない世帯がフリースクールに通おうとする場合国が利用料金に対して補助金を出すようにすればいいのではないだろうか、そうすればフリースクールに通いたくても通えなかった人が通えるようになり、それによりフリースクールの数も増え自宅近くにフリースクールがあるという確率も高くなるだろう。

 

メリットがないと国はお金を出しにくいと思う

この制度があることによってどんないいことがあるのかそれを具体的に説明しない限り国は補助金を出さないと思う、フリースクールに通った人がどれだけ卒業や進学や就職したか、長期引きこもりにならなかった確率など様々な情報を調べてみるといいと思う、自分で少し調べてみたけど出てこなかった(たぶんどこかにある)もしそこでフリースクールに通う事で長期ひきこもりになりにくいとしたら国はお金を出すのではないか

 

通信高校の人にもいいのではないか

これは個人的な考えであるが通信高校の学生にとってもフリースクールはいいものではないのだろうかと考える、通信高校の場合通学するところもあるが通学をほとんどせず勉強できるところもあるだろう、そうなった場合自分で自己管理できるのであればいいが、そうでない場合フリースクールで規則正しい生活を行う事で勉強も行いやすくなるのではないだろうか

 

フリースクールに通った人や親の意見について

ネットの情報しか見てないのだが、様々な意見があった学校では友達ができなかったがフリースクールでは友達ができて今でも友達だという意見や家にいるよりもフリースクールに通う事で最近子供に笑顔が増えたなどいい意見もあれば、自分にはフリースクールは合わなかったという意見もあった、ただ可能性として救われる人がいるのであればそれは必要性があるということではないか

 

終わりに

私はフリースクールを利用したこともないし実際に見たこともない、ただ私は半年間離職者向け職業訓練を受けたことがある、その時私はとても暗かったのだがそこでは明るく幸せな時間を過ごすことができた、それは今でも苦しい時の希望になっている、フリースクールもそれに近いのではないかと勝手に予想する

 

クラス替えについて

類は友を呼ぶ

ことわざというのは昔から伝わっているそしてある程度納得されているから言われ続けているのではないだろうか

 

街を歩いて思った事

それは似たような人と一緒行動をしている事が多いと感じた、街で判断できるのは外見が似ているという事だけだが体格が大きい人は体格が大きい人と一緒に街で歩いている、体格ががりがりな人はがりがりな人と一緒に歩いているように感じた、ただ人生で色々な人を見てきて性格も似ている人が仲良くなっている気もする

 

学校はコミュニケーション能力が鍛えられるのか?

確かにクラスであれば色々な体格や性格の人がいてその人達と時間を共にすることでコミュニケーション能力が鍛えられる可能性もある、しかしそれは成功した場合である、そこに馴染めない人はどうなるのだろうか、例えばクラス内で上下関係ができて萎縮または抑圧されてしまう、クラス内でのキャラクターを無理に演じて本来の自分を抑えながらいることで過剰に疲弊してしまう、そういう人がいた場合それは鍛える以前の問題ではないだろうか

 

クラス替えの時に性格や体格など要素ごとに分ければいいと思う

1年生の時に先生が一人ひとりの体格や性格などの要素を分析する、2年次はその分析結果から似たような人が集まるようにクラス替えを行う、3年次は更に2年次の分析結果も踏まえてクラス替えを行う

 

このやり方を採用するとどうなるか

予想だがクラスにいても自分と似たような人ばかりのクラスになる、そうなると第一に仲良くなりやすくなる、第二にそれにより孤立が少なくなる、第三に似たような人が集まり居心地がいいので不登校が少なくなるなどの効果があると思う

 

コミュニケーション能力が低下するのではないか?

私はそうは思わない、このやり方を採用する事で仲良くなりやすくなりそれが成功体験としてその人に残ると思う、そうすると社会に出ても人と仲良くしたという成功体験があることでまたあの成功体験を繰り返したいと考え努力するのではないだろうかと考える

 

要素は何にするか

体格や性格だけではなく要素は様々あると思う、クラス分けの基準となる要素を何個にするか、何にするかなどはやってみたことがないからわからない、ただ検証を繰り返していけばいずれ成功率の高い要素が決まってくるのではないだろうか

 

どこに採用したらいいか

私は中学、高校で採用すればよいと思う、理由は精神的にも不安定でありかつ精神がまだ大人になっていない為である、それ以降の大学や専門学校であれば精神的にも大人に近づき、中学高校よりはまだ大人の対応や大人の関係性を築けるようになっているのではないだろうかと考える

 

終わりに

このクラス替えの方法は私が中学生の時に思ったことである、ちなみにこの方法は試したこともないので実績もなく責任も持つことはできない、あと結局決めるのは学校である。

スポーツジムについて

初めに

今回書くことは完全に個人的に思ったことであり個人の意見である。

 

受付に常に人が必要なのだろうか?

私は受付に常に人がいるスポーツジムと人がいないスポーツジムどちらも利用したが人がいない方が楽だった、理由としては会員カードを渡す事や挨拶だけだとしてもやはり気を遣うから、しかし受付の人と楽しく会話するお客さんも何度か見ているのでこれは個人的な好みとしか言えない、ただ見ている感じでは受付の人とよく話す人は10人に1人くらいで9人はカードを渡すなどのみに見えた。

 

レーニング中は話したいと思う事もある

レーニングルームには必ずトレーナーの人が居てすれ違うと挨拶してくれる、そして私が見た感じではトレーナーの人は器具の掃除をしたり、皆の様子を確認していたり、トレーニングのやり方の説明をしていたり、お客さんとお話していたり様々である、ただこれは勝手な思い込みかもしれないがトレーナーの人が話している人は決まった一定の人のような気もする、正直私はトレーナーさんと話したいと思っていたのだが話すという事はなかった。

 

なぜ話すことがなかったか

第一に自分から話しかけなかったからというのがある、これが一番大きいだろう、第二にトレーニングする人は皆真剣なのでトレーナー側も気を使って話しかけないという事が考えられる、第三に話しかけていい人なのかトレーナーが分からないという事が考えられる、もし話しかけて不快感を持たれては嫌だろう

 

ほとんどの人が話さない

レーニングルームではほとんどの人が話さないでトレーニングを行っている、しかしその中にも本当は話したいと思っている人もいるのではないかと思う

 

リストバンドで意思を表示する

ジムの入り口に赤、青、黄のリストバンドを置いておき積極的に話しかけてもらっていいという人は赤、どちらでもいいという人は青、今日は集中したいのであまり話しかけないで欲しいという人は黄などで意思表示するようにすれば良いのではないだろうか、そうすればトレーナーの人も話しかけやすくなると思う

 

もし赤の人が多い場合

もし赤の人が多く、トレーナーが少ない場合全員に話しかけられないという事が発生するかもしれない、そうなると自分は意思表示しているけど全然話されないと思う人も出てくる可能性がある、しかしそこはトレーナーが一定時間話したら話を切り上げる、トレーナーの数を増やすことで対応できると思う

 

終わりに

今回の方法は試したことがないのでどういう結果になるのかわからない、そして責任ももてない、ただ個人的に思ったことを書いた

飲食店について

初めに

私も何個かの飲食店のアルバイトを経験したことがある為少しは飲食店のアルバイトさんの気持ちが分かると思っている、その上でこうした方がいいのではないかと思う事を書く

 

飲食店のアルバイトさん

私は週に何回か色々な飲食チェーン店を利用する、そしてここ数年で思う事は店員さんで暗い人をよく見るようになった事である、これはクレームでもなんでもない、どちらかというと心配である、態度が悪い、やる気がないというパターンは考えられる、しかし暗いというのはなぜだろうか

 

認められないからではないか

私が予想するに態度が悪かったりやる気がなかったらクレームが来てしまったり怒られる可能性があるつまり自分に被害がある為やらないようにする、逆に元気よくハキハキ仕事をしてもお客さんから褒められることはめったになくまた給料も変わらない、そう考えると普通に仕事していた方が楽である、その最終系が暗いになってしまうのかもしれない

 

飲食店で働いていて一度だけお客さんから褒められたことがある

私は一度だけお客さんからテキパキ仕事していて見ていて気持ちがいいと言ってもらったことがあるそれはかなり昔の事なのだがうれしくて覚えている、アルバイトさんにもお客さんが口に出さない評価を届ける仕組みがあればいいのではないかと思う

 

アプリで投票できるようにする

レシートに番号が書いてありその番号をアプリに入力するとその店舗の情報が出てきてアルバイトさんに投票できるようにすればいいのではないかと思う、そこに投票したからと言ってお客さんにメリットはない、ただその面倒な事をしてまでも投票してくれたという事はアルバイトさんにとって嬉しい事なのではないかと思う、そして投票してくれたら1回5円ほど給料に上乗せするようにすれば更にアルバイトさんの意欲は上がるのではないだろうか

 

評価について

評価は良いという一つの評価のみがいいと考える、悪い評価などはアルバイトさんの意欲を低下させるし、良い評価がもし3段階ほどあったらなぜ一番上の評価でなかったのかなと落ち込む、あと入力する方も一つの評価の方が人を選択するだけなので楽だと思う、評価は月で集計されて本人のみに通知されるようにすればいいと思う、そうすることでアルバイト間で評価の共有がなく妬みなども無いのではないかと思う。

 

店員さんの本名はなしにする

名札にしても店内での呼び方にしても仮名でいいと思う、投票できるようにしたらきっとネットであの人がいいとかの話題も出てくる可能性がある、AさんBさんなどアルファベットでもいいのかもしれない

 

不要レシートは即シュレッダー

不要レシート置き場にはシュレッダーが置いてありそこに入れることにする、そうすることで不正投票が防げる

 

そんなものでアルバイトさんの意欲は上がるか?

もし1回5円だとした場合1日100回投票してくれても500円であるそれで意欲はあがるのか、私は上がる可能性はあると考える、まず認めてくれるという事がすごく嬉しいことだと思うそれが1票しか入っていなかったとしても、そしてお金も少しもらえる事で継続性が上がると思う、もしお金がなければ自己満足だけになりもういいやとなってしまうかもしれない、しかしお金が少しでもあることで認められているという感覚がでるのではないだろうか、いい仕事をしたから報酬が上がったというのは自分を認めることになるのではないか。

 

 店側のメリット

まず接客の質が上がりそれが売り上げにつながる可能性がある、投票数が多い人は仕事に満足感を感じるようになり、長く働こうと思うのではないだろうか、それはつまり優秀な人材に長く働いてもらえるようにもなるのではないだろうか。

 

終わりに

この方法試したことがないので成功するかどうか分からない、ちなみにこの方法に責任は持てない、結局決めるのは店である。

 

 

学校の人間関係について

初めに

ここに書いた内容は人それぞれ批判や賛同もあると思うただ自分は学生の時にこういう機会があればいいなと思ったので書いた。

 

 

不登校について

不登校には様々な原因があると思う、その中でも今回は孤独に焦点を当てて考えてみる、孤独というのはいじめよりも簡単に起きてしまう事だと考える、何故ならいじめは行動力が必要になるからである、加害者側が自分から動く事をしないといじめにならない、つまりいじめの行動力>面倒臭いの関係が成立するといじめが発生するのではないだろうか、しかし孤独は行動力がなくても成立してしまう何故なら自分から話しかけない、関わらないだけでいいからである、そこには行動力は必要ないのである。

 

孤独になった側について

孤独になった側は別にいじめられていなくてもクラスというグループを意識しその中で誰とも関わりを持てていないという孤独感や疎外感を感じる可能性がある、いじめほど強烈な不快感はなくても毒のように徐々にここに居たくないという嫌な感覚が蓄積されていく可能性がある、孤独というのは陥りやすいものだと思う、話しかけない、話さないという行動しないという選択をすればいいだけだからだ

 

行動したくてもできない

皆と仲良くなりたいと思っていてもなかなか行動できない事もある、知らない人に話しかけるというのはとても勇気がいることである、そしてさらに問題なのは初めの内にグループができてしまうと更に話しかけにくくなる可能性があるという事である、例えば4人のグループが話している輪に突然私も混ぜてと言えるだろうか、これは一人に話しかけるより更に勇気がいることだと思う。

 

一度孤独になるとそこからが大変なのではないか

すべての人が大変だとは言えないが私は大変だった、一度孤独になると静かな人だったり、いい人というイメージがついてしまう可能性があるそうなると相手側から話しかけてくれるという事が少なくなる可能性がある、そして話してもよそよそしい形になり親密な感じの会話にならない可能性がある、そういう関係が好きだという人もいると思う、でもどうにかしたいと思う人もいるだろう。

 

チャンスの回数を増やすことが必要

友達を作りたいと思っている人の中には気持ちはあっても行動ができないという人もいるだろう、勇気がないという人にはその気持ちを表現する場を作ればいいと私は考える、ちょっと話は変わるが挨拶は大切だとよく聞かないだろうか、理由は色々あるのだろうが私は緊張感の緩和効果だと考える、例えばルームシェアをしていて共有スペースでたまに会う全く話したことのない人と同じく共有スペースでたまに会って「今日は天気がいいですね」「そうですね」この2言話した人どちらが話しやすいかと言われたら私は後者になると思う、同じ場所にいて時間を過ごしても違いは出ると思う、つまり少し会話しただけでも緊張感は緩和されると思う、少しでも会話する機会を作ることが必要だと考える。

 

集団行動でも会話するのでは?

授業などでグループになって会話する事があるだろう、それがあれば問題ないのではないかと思われるかもしれない、それで仲良くなれる人もいるだろうただ私はそれでは不十分だと考える、結局それはグループでの中での役割になる可能性があるのではないだろうか、例えば授業で5人グループを作りその中で質問されたことやそのグループの進行の為の発言をしたとする、しかしそれはグループの中での立ち位置として残るのでありそのグループが解散したらまた孤独になる可能性があるのではないか、そう考えると1対1の関係をまず作ることが大切なのではないかと思う、もちろんまずグループから入りそこから1対1を作るという方法も正しいと思う、またそうして仲良くなった人もいるだろう、ただせっかく機会を学校側が作るのであれば1対1から作る方が話もしやすく親密にもなりやすいと思う。

 

具体的にどうするのか

具体的には学校側が毎日放課後の時間でも何でもいいので時間を作る、場所は個室を用意するかまたは教室をそのまま借りて生徒1対1で5分間お互いに話す機会を作ればいいと思う、進行としては初めは先生がいてお互いに挨拶をするそこから先生は居なくなり会話をする、そして5分後に職員室に2人で来てもらい解散する、2人で来てもらう理由は先生がどこかに行った後話さないで帰るかもしれないから、5分であれば話すネタも続くのではないだろうか、これをクラスの人全員がすべての人と話すまで何十日もかけて行う、そうすることで1対1の関係が始まりかつ緊張緩和が生まれるのではないかと思う。

 

1対1の会話を集団で行えばいいのではないか

教室でクラス全員で一斉に一人ひとり話す機会を作ればいいのではないかと思われるかもしれない、しかし私はそれでは1対1の関係は作りにくいと思う、何故なら周りを意識するから、他の人の会話も聞こえてくるし自分の話していることも聞かれる、そうなると周りを意識した会話になる可能性があり、自分から話しているという感じにはならない可能性がある、自分に興味があるんだなと思える積極的な会話と決まった文章を読むかのような会話どちらが好感があるかといえば前者だろう。

 

そんな親密になりたくない

私はそんなに親密になりたくない、一定の距離をもってクラスに居たいという人もいると思う、しかしそういう人も当たり障りのない会話をするだけでも一度話したことのある人となりお互い緊張感が緩和されクラスの中であまり関わりを持たなくても孤独感や疎外感が薄くなるのではないだろうか

 

どこでこの方法を行うか

私は基本的にクラス制の場合にこの方法を行うのが良いと考える、クラス制でも小学校ではあまり必要ないのではないかと思う、理由として中学や高校と比較して少人数でありこの方法がなくても親密になりやすいと思う、また小学生の場合だとこの方法が逆効果を生む可能性もあると考える、親密になりすぎて逆に上下関係などができてしまい関係がこじれるかもしれない、高校や短大、専門学校になれば常識や経験がある程度一人ひとりに備わりこの方法を取ることで良い関係を築きやすくなるのではないかと思う、中学校は予測ができない、中学は皆思春期になり精神的にも不安定になるそして経験や常識なども個人差があるだろう、なので分からない。

 

終わりに

この方法そもそも強く誰とも話したくない人や誰とも関わりたくない人には逆に悪い影響が出るのではないかと言われたら確かにその可能性はあると思う、なのでこの機会は嫌なら断ってもいいことにすればいい、緊張がひどすぎるから無理だとか正当な理由であればほとんどの人が理解してくれると思う、例えば体調が悪くて話したくない時もあると思う、それなら日を変える方法などあるだろう、あと結局決めるのは学校である、このやり方を実際に試したこともないので私は責任をもって推薦できない、ただ当時なかなか話しかけられなくてそういう機会があったらいいなと私は思っていた。

住む場所がもっと安くなればいいと思う

はじめに

私は不動産会社の社員でもないし、土地だったり法律に詳しいわけでもない、今回書く事は生活していてもっとこうしたらいいのではないかと思い、ネットで色々情報を調べて書いただけである、だから知識不足の間違いや見当違いの事を書いているかもしれない、ただもしかしたら世の中の為になるかもしれないので今回書いた。

 

人間に最低限必要なのは衣食住

衣食住の金額を仮定で出してみる、衣服はこだわりが無ければ年間大体1万円あれば足りる、食事も自炊と外食などバランスよくすれば1人3万から4万で済ませる事もできるだろう、住む所は賃貸の場合その場所にもよるだろうが、単身でも駐車場を含めると5万から8万ほどかかるのではないだろうか、そう考えると一番お金がかかるのが住という事になる

 

もし住が安ければどうなるか

もし住がもっと安ければそれは生活が豊かになるという事とも言いかえる事が出来るのではないかと思う、家賃が浮くと貯金が出来て結婚や子育てに踏み切る人も増えるだろう、そうなれば結婚や出産が増えて少子化対策になるだろう、働いても生活していくだけでやっとという貧困問題も一定数解消されるだろう、お金に余裕ができるという事は余暇や趣味にお金を使えるようになりそれは心の健康にもつながりうつ病になり働けなくなる人も減少するだろう、実家から遠くの職場まで通っている人がいたら近くに家を借りる事もできるだろう、それは寝る時間を増やす事も容易になり健康を維持する事にもつながるだろう、他には労働力の移動が活発になりいい職場にはたくさん人が集まり、悪い職場は人が集まらないようになりブラック企業は現在より少なくなるだろう。

 

問題は土地の価格にあるのではないか

木造の建物自体の価値は20年でほぼ0になると言われている、私の住んでいる地区の中古の一軒家の価格を調べてみたところ築25年ほどでも500万円以上する、別に都会に住んでいるわけではない、つまり土地が高いのである、賃貸を借りるにしても新築を立てるにしても中古の空き家を買うにしても土地の価格が大きくのしかかってくるのだろう。

 

なぜ土地が高いのか

今空き家問題が騒がれている、つまり家が余っているという事だろう、余っているということは経済学で言えば供給過多になり価格が落ちるはずである、しかし安いとは思えない、それは価格を下げないからだと予想する、供給過多になった場合とにかく売ろうと考えて価格を下げる、しかし土地の場合はそうではないのではないか、何故なら土地は劣化しない、そして担保として利用できる、劣化しないのでなかなか価格が変動しない、そして何かあった時の担保として保険の役割がある、例えば2000万円の土地を売りに出したとする、売れれば少し金額は低くなるだろうが現金が入るし売れなくても担保としての価値がある、だから値段を落とす必要がないのではないか、そして土地というのは相続税が優遇されるらしい、それなら子供にも継承させることができるので急いで売る必要はないのではないか。

 

とにかく持っておこうの考え

土地の価格が下がらないとどうなるか、それは誰も土地を買わなくなる、それは土地の有効活用を妨げる事にもなるのではないか、もし何も利用はしていないがとにかく持っているという人が多くなった場合どうなるか、まず経済活動が鈍化する、例え話をするなら、パン屋や八百屋など街を活性化させたいという人が現れても土地が高い為諦めるまたは土地購入の借金が高すぎる為続けていけないという事も発生するだろう、若いカップルも中古の一軒家または新築を買ってもローンの返済が大きすぎて余裕がなく子供を作ろうと考えにくいのではないか、まとめると土地が高い為買えない人が増えるだろう、つまり土地を活用して効用(主観的な満足・欲望充足)を生み出そうとする活動を阻害する、そして何も活動をしていない土地は何も効用を生み出さない為全体的に効用は低下するのではないだろうか。

 

固定資産税をもっと上げる

問題は土地の価格であり土地の価格を下げる為には早く売りたいと思わせる事が出来ればいいのではないかと思う、その方法が固定資産税を現在よりもっと上げる事である、上げる条件は何も活用していない土地だけに制限すればよいと思う、だから今住んでいる人などは何も変わらない、売りに出している土地や空き家などただ持っているだけで何も活用していない土地が対象になるようにすればいいと思う、売却価格を下げても売れない土地を持っていた場合売りたくても売れないという事になるだろう、そういう時は国が買い取って、買いたい人が現れたら安く売ればよいと思う。

 

土地の価値は人気の場所でない限り下がるだろう

固定資産税を上げると土地の担保としての価値は人気のない場所の場合現在より下がるだろう、何故なら銀行も所有しているだけで現在より高い固定資産税を払わないといけないから(たぶん)、銀行がすぐどこかに土地を売ったり貸し出したりできる人気の場所であれば価値はそこまで下がらないだろう、価値の大幅な値下げは土地所有者にとって打撃になる、それを抑えるために20年ほどかけて段階的に固定資産税を上げていけば良いのではないだろうか、そうすれば価格変動も緩やかになり、その間に売るという選択肢もでき損害も小さく済むのではないだろうか。

 

問題は中途半端に価値がある土地ではないか

人気の土地は土地の価値も高いので固定資産税も自然と高くなる、だから現在でも土地を有効活用されていると考える、しかし中途半端に価値があるまたはあまり価値が無い所だとそこまで固定資産税が高くなく多少の負担でそのまま活用しないで放置しておくという所もあるのではないか

 

 

固定資産税を上げたらどうなるか

今まで何も使用しないでいた土地の地主はどうにかして活用しようと考えるだろう、例えば安い賃料で貸し出そうとするかもしれない、地主自身がその土地で何か行うかもしれない、そうすれば土地活用が活発化するだろう、他にも例えばただ放置していた空き家を売ろう又は貸し出そうととするかもしれないそうすれば安く住宅を買える又は借りれるようになる、そして物件や土地が増える事で立地や家の品質など選択肢が増え自分に合ったところを選びやすくなる、土地が安くなれば若いカップルの将来の不安も軽くなり新築で子育てしていこうという人が増えるかもしれない、あまり人気のない土地は売り手が見つからず、国に買い取ってもらう事になる所もでてくるかもしれない、人気が無いという事は交通の便や商店があまりない自然が豊かな土地だと仮定すると、そこを国が買い取り大規模農地として若い農家に安く売り雇用を生み出すという事もできるだろう、そうすれば食料自給率も上がるし地方に若者が集まる事で地方活性化にもつながるのではないか。

 

 

特例について

固定資産税を計算する時に切り離せないのは特例についてである、住宅用地の場合1戸200平方メートル以内の場合課税標準額が1/6まで軽減されるというものがある、詳しい事は自分で調べてもらいたい。

 

 

空き家対策特別措置法

2015年に施行されたこの法律は一定条件を満たすと特定空家等と認められ上に書いてある特例を除外する事ができるというものである、その一定条件は国のホームページに詳しく書いてあるので見てもらいたいのだが、簡単にいうと倒壊の恐れがあったり外観がよくなかったりすると該当する、しかし逆をいうなら倒壊の恐れがなくそこまで外観が悪くない空き家は今まで通り特例が適用されるということだろう。

 

 

空き家は需要があるのか

私は空き家は需要があると考えている、特に需要があると思うのは若い男性である、若者はお金がないだから、実家を離れて就職する場合安い賃貸を契約する事が多いと思う、しかし賃貸は防音のレベルが高くなかったり、隣の人に気を使わないといけなかったりで大変だと思う、しかし一番の不満は部屋が狭いとか部屋が汚いとかではなく払い続けなくてはいけない賃料だと思う、お金が無い若者にとって無制限に終わりのない賃料を払い続けるのは将来の希望を削るのと同じである、もし360万円の築20年以上の一軒家と月賃料6万円で防音もあまりよくない賃貸だったら一軒家を選ぶ人が多いのではないだろうか、利息も含めてローンとして払い続ければ数年で完済してそこからは、毎月6万円も自由に使えるお金が増えるのだ、結婚して新築を立てるにしても貯金がたくさんできるので余裕が生まれるだろう、築20年以上でほぼ土地だけの価値になった空き家を300万円から600万円の範囲で売り出せば若い男性はローンをしてでも買うという人が増えるのではないかと予想する、こういう若者が増えれば若者の貧困問題は減少し心に余裕が生まれ結婚する若者も増えると思う。

 

おわりに

今回書いた事は深く法律や固定資産税やその他情報を調べたわけではない、予想をただ書いただけである、とにかくもし間違っているのであればこの文章は全く影響力はないだろう、もし影響があったとしても判断するのは国である。